蟻の兵隊ディースデイで、以前から観たいと思っていた「蟻の兵隊」を札幌のシアター・キノでやっと見ることが出来た。 《あらすじ》 ◎奥村和一・80歳。人生最後の闘いに挑む。 今も体内に残る無数の砲弾の破片。それは“戦後も戦った日本兵”という苦い記憶を 奥村 和一 ( おくむら・ わいち ) (80)に突き付ける。 かつて奥村が所属した部隊は、第2次世界大戦後も中国に残留し、中国の内戦を戦った。しかし、長い抑留生活を経て帰国した彼らを待っていたのは逃亡兵の扱いだった。世界の戦争史上類を見ないこの“売軍行為”を、日本政府は兵士たちが志願して勝手に戦争をつづけたと見なし黙殺したのだ。 「自分たちは、なぜ残留させられたのか?」真実を明らかにするために中国に向かった奥村に、心の中に閉じ込めてきたもう一つの記憶がよみがえる。終戦間近の昭和20年、奥村は“初年兵教育”の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられていた。やがて奥村の執念が戦後60年を過ぎて驚くべき残留の真相と戦争の実態を暴いていく。 これは、自身戦争の被害者でもあり加害者でもある奥村が、“日本軍山西省残留問題”の真相を解明しようと孤軍奮闘する姿を追った世界初のドキュメンタリーである。 ◎日本軍山西省残留問題 終戦当時、中国の山西省にいた北支派遣軍第1軍の将兵 59000人のうち約2600人が、ポツダム宣言に違反して武装解除を受けることなく中国国民党系の軍閥に合流。戦後なお4年間共産党軍と戦い、約550人が戦死、700人以上が捕虜となった。元残留兵らは 、当時戦犯だった軍司令官が責任追及への恐れから軍閥と密約を交わし「祖国復興」を名目に残留を画策したと主張。一方、国は「自らの意志で残り、勝手に戦争を続けた」とみなし、元残留兵らが求める戦後補償を拒み続けてきた。 2005年、元残留兵らは軍人恩給の支給を求めて最高裁に上告した。 奥村さんたちの訴えを棄却した、国側の説明を知りたいと思う。 多分、残留兵の中にも色々な考え方の人がいるのだろうけれど、 私は奥村さんの訴えは、とてもまっとうなものだと感じた。 最後のシーンで、靖国神社での(多分8月15日)軍服姿の一団の様子や、 若者が「次の戦いでは負けないぞ!」と気炎を吐く姿、 その人たちに英雄のように扱われていた小野田さんが、 声をかけた奥村さんを罵倒する姿には、ひっくり返りそうになった。 その前後がよくわからないので、 なぜ小野田さんがあれほど怒っているのか理解できないが、 同じように戦後も戦い続けた人も、 それぞれ感じ方や考え方は違うのだろうということはよくわかった。 戦後60年以上も過ぎてしまい、当時の戦争の実態を記憶している人も少なくなっている。 私たちは、戦争がどのようなものであるか、戦争中の日本が何をしたかということを、 もっと知らなくてはいけないと思う。 それは、「自虐史観」などというものではなく、 キチンと事実を知った上でなければ、未来への道しるべには決してならないと思うからだ。 それにしても、奥村さんたちの訴えは、このまま無視され風化してゆくのだろうか。 この映画がなければ、間違いなくそうなったことだろうと思う。 池谷薫監督には、感謝します。 そして、一人でも多くの人に見ていただきたいと思う。 この映画について知った時の日記。 池谷監督がコメントを書いてくださったので、ネットの威力にビックリしたものである。 「蟻の兵隊」を観たい(2006年02月12日の日記) |